発行者: 23.12.2022
弁も、いと才かしこき博士にて、言ひ交はしたることどもなむ、いと興ありける。 文など作り交はして、今日明日帰り去りなむとするに、かくありがたき人に対面したるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへをおもしろく作りたるに、御子もいとあはれなる句を作りたまへるを、限りなうめでたてまつりて、いみじき贈り物どもを捧げたてまつる。 朝廷よりも多くの物賜はす。. 第二段 靫負命婦 の弔問. この御子が三歳におなりの年に、御袴着の儀式を一宮がお召しになったのに劣らず、内蔵寮や納殿の御物をふんだんに使って、大変に盛大におさせあそばす。 そのことにつけても、世人の非難ばかりが多かったが、この御子が成長なさって行かれるお顔だちやご性質が世間に類なく素晴らしいまでにお見えになるので、お憎みきれになれない。 ものごとの情理がお分かりになる方は、「このような方もこの末世にお生まれになるものであったよ」と、驚きあきれる思いで目を見張っていらっしゃる。.
暑い夏の日、源氏が夕霧と釣殿で涼をとっていると、内大臣家の若者たちが現れた。源氏は彼らから、内大臣が最近探し当てた外腹の子(近江の君)の出来が悪く困っていると聞くと、夕霧と雲居雁の件で気を悪くしていた源氏は内大臣を責める。 黄昏時になって源氏は、玉鬘と琴を唱和しながら夕顔のことを語る。玉鬘に恋心を抱く源氏だが、現実を考え、髭黒の大将か蛍の宮に玉鬘を託すことを考える。 内大臣は、夕霧と雲居雁の結婚を許そうと考えるが、源氏が折れない限りはと思い直す。近江の君にほとほと手を焼く内大臣は、弘徽殿の女御に行儀見習いを頼んだ。. 月日経て、若宮参りたまひぬ。 いとどこの世のものならず清らにおよすげたまへれば、いとゆゆしう思したり。. 若宮が三才になった年の夏、桐壺の更衣の病状が重くなり、そのまま息を引き取ってしまう。 まだ幼い若宮は母が亡くなったことを理解できておらず、帝や女房たちが泣いている様子を不思議そうな顔で見ている。 帝は桐壺の更衣を失ってから、彼女との日々を思い出しては懐かしく、食欲もなく、政も手につかない、世のことを忘れ去ってしまったような姿であった。.
などと言うようにやや不謹慎なのを、気持ちが静まらない時だからとお見逃しになるのであろう。 決してこう取り乱した姿を見せまいと、お静めなさるが、まったく堪えることがおできあそばされず、初めてお召しあそばした年月のことまであれこれと思い出され、何から何まで自然とお思い続けられて、「片時の間も離れてはいられなかったのに、よくこうも月日を過せたものだ」と、あきれてお思いあそばされる。. 夕霧の縁談話を聞き、内大臣は焦燥する。三月、故大宮の三回忌で内大臣は夕霧に歩み寄り、四月、内大臣邸で催された藤の宴で夕霧と雲居雁は結婚する。 明石の君の入内が決まり、紫の上は実の娘への思いを斟酌し、明石の君を姫の後見とする。入内を機会に、明石の君が参内し侍女として娘に付き添うことになる。はじめて対面した紫の上と明石の君はすぐに互いを認め合う。すべてを手に入れた源氏は出家を考える。 四十歳となり、源氏は准太上天皇、内大臣は太政大臣、夕霧は中納言に昇進した。十月、六条院への行幸が、朱雀院を伴って華やかに行われた。源氏や朱雀院は若かりしころ催された紅葉の賀に思いを馳せた。. 奥入07 かたみのかむざし 長恨哥伝 指碧衣女 取金釵鈿合 各折其中 授使者曰 為我謝太上皇 謹献是物 尋(白氏文集「長恨歌伝」、自筆本奥入).
初めよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。 おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びの折々、何事にもゆゑある事のふしぶしには、まづ参う上らせたまふ。 ある時には大殿籠もり過ぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この御子生まれたまひて後は、いと心ことに思ほしおきてたれば、「坊にも、ようせずは、この御子の居たまふべきなめり」と、一の皇子の女御は思し疑へり。 人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしませば、この御方の御諌めをのみぞ、なほわづらはしう心苦しう思ひきこえさせたまひける。.
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その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。 年ごろ、常の篤しさになりたまへれば、御目馴れて、〔 桐壺帝 〕「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ五六日のほどにいと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。 かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をば留めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。. などと仰せになる。 あの贈物を帝のお目に入れる。 「亡くなった人の住処を探し当てたという証拠の釵であったならば」とお思いあそばしても、まったく甲斐がない。. 父宮の薨去により朝顔の姫君は斎院を退き、桃園の宮で暮らしていた。姫と同居する女五の宮の見舞いにかこつけて邸を訪問した源氏は朝顔の姫君に恋心を訴えるが、姫君は聞こうとしない。 世の人々は源氏と姫君のことを理想のふたりだと噂をする。それを聞いた紫の上は、さしたる後見のない自分の身と前斎宮である姫君をくらべ強い不安を覚える。 源氏の求愛を聞くことなく朝顔の姫君は勤行に明け暮れる。あきらめきれない源氏だが、紫の上を放っておくこともできず弁明に明け暮れる。雪が降る中、源氏と紫の上が女性論を交わしていると、藤壺の宮が源氏の夢枕に立ち、秘密の漏洩を深く恨んだ。.
と言わせなさる。 趣きのあるようなお贈物などあらねばならない時でもないので、ただ亡き更衣のお形見にと思って、このような入用もあろうかとお残しになっていたご衣装一揃いに、お髪上げの調度のような物をお添えになる。. 入内を前にして玉鬘はひとり悩んでいた。源氏の懸想はやまず、また、入内したとしても帝寵の厚い秋好中宮と弘徽殿の女御と争うことは考えられなかった。父、内大臣は源氏の顔色を窺うばかりで、誰ひとり悩みを打ち明ける相手もいない。そんな折、親切心を装った夕霧にまで言い寄られる。 源氏の元に立ち寄った夕霧は玉鬘との関係を追及する。なんとかかわす源氏だが、玉鬘への思いを断つ時が来たことを悟る。 玉鬘の入内が十月と決まり、内大臣の使者として柏木が訪れる。かつての懸想人である実の弟柏木を玉鬘はそっけなくあしらう。多くの求婚者から手紙が届くが、玉鬘は蛍の宮にだけ短い返事を書いた。.
源氏ははかなく消えた夕顔のことが忘れられない。そんな折、乳母子の大輔命婦から、故常陸宮の姫君(末摘花)のことを聞く。姫は荒れた邸で琴だけを友として暮らしているという。興味を持った源氏は、早速常陸宮邸を訪れ、琴の音を耳にする。 源氏の後をつけ、同様に姫に懸想をする頭の中将と源氏は恋の鞘当てを繰り広げるが、姫は一向になびいてこない。いらだった源氏は命婦に手引きさせ姫と強引に契りを結ぶが、姫の風情のなさに落胆する。 忙しさに追われしばらくぶりに姫のもとに訪れた源氏は、その翌朝見た姫の醜い姿、特にだらりと伸びた、先が赤い鼻に驚きを覚える。だが、落ちぶれた宮家の境遇を哀れと思い、姫の面倒を見続けた。 よしのん ワーフリ. 奥入10 右近のつかさのとのゐ申 亥一剋左近衛夜行官人初奏時<終子/四刻> 丑一剋右近衛宿申事至卯一刻 内竪亥一剋奏宿簡(出典未詳、自筆本奥入).
陽キャ 陰キャ 診断 . . . . . 07 .
お食物などもお召し上がりにならず、朝餉には形だけお箸をおつけになって、大床子の御膳などは、まったくお心に入らぬかのように手をおつけあそばさないので、お給仕の人たちは皆、おいたわしい御様子を拝して嘆く。 総じて、お側近くお仕えする人たちは、男も女も、「たいそう困ったことですね」とお互いに言い合っては溜息をつく。 「こうなるはずの前世からの宿縁がおありあそばしたのでしょう。 大勢の人びとの非難や嫉妬をもお憚りあそばさず、あの方の事に関しては、御分別をお失いあそばされ、今は今で、このように政治をお執りになることも、お捨てになったようになって行くのは、たいへんに困ったことである」と、唐土の朝廷の例まで引き合いに出して、ひそひそと嘆息するのであった。.
先年の 東宮 の御元服が、紫宸殿で執り行われた儀式が、いかめしく立派であった世の評判にひけをおとらせにならない。 各所での饗宴などにも、内蔵寮や穀倉院など、規定どおり奉仕するのでは、行き届かないことがあってはいけないと、特別に勅命があって、善美を尽くしてお勤め申した。. 薫は横川の僧都を訪ね事情を語る。浮舟と薫の関係を知った僧都は驚き、浮舟を出家させたことを後悔する。薫は浮舟との再会を望むが、僧都は薫に伴う浮舟の弟に浮舟への手紙を託すことだけに応じた。 翌日、薫は浮舟の弟を使者として浮舟のもとへ向かわせる。浮舟は激しく動揺するが、弟に会うことも、薫の手紙に返事を書くことも、人違いだとしてしなかった。薫は、浮舟が誰かに匿われているのではないかと疑う。.
などのたまはす。 かの贈り物御覧ぜさす。 「亡き人の住処尋ね出でたりけむしるしの釵( 奥入07 )ならましかば」と思ほすもいとかひなし。.
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フォレスト サイト 姫君たちに軽率な結婚への訓戒を残し、八の宮はこの世を去る。薫や匂の宮から文が届けられるが、父の遺言を守り、姫君たちは固く心を閉ざす。 冬、薫は大君に恋情を訴えるが、大君は取り合わない。 翌春、匂の宮はかねてからあった夕霧の娘との縁談にまったく興味を見せず、薫に八の宮の娘との仲介を頼む。夏、薫は喪服姿の姫君たちを垣間見る。.
女三の宮のことが忘れられない柏木は、東宮に頼み、女三の宮の猫を借り受ける愛玩する。 四年の月日が流れた。冷泉帝は東宮に譲位し、明石の女御が産んだ皇子が東宮となった。女三の宮は二品に叙され、源氏はますます丁重に扱う。明石の君、女三の宮と比して、自分の立場の心細さを痛感する紫の上は出家を志す。 女三の宮との対面を望む朱雀院のため、源氏は朱雀院の五十の賀を計画する。それに備えて、源氏は女三の宮に琴を教授する。年が明け、院の賀に先立ち、源氏は六条院の女性たちによる女楽を催した。その直後、紫の上は重病に伏し、二条院に移される。源氏は紫の上につきっきりで看護にあたった。 柏木は女三の宮の姉(落葉の宮)を妻としていたが、女三の宮に固執していた。源氏不在に乗じて、柏木は小侍従の手引きで女三の宮と密通する。そのころ紫の上は重体に陥る。調伏を続けると六条御息所らしき霊が現れ源氏は慄然とするが、紫の上はなんとか息を吹き返す。 紫の上は小康状態を保ち、源氏は六条院に戻る。そこで女三の宮の懐妊を知り不審に思う。源氏は女三の宮の部屋で柏木の手紙を見つけ、事の次第を知る。真相を知られたことに気づいた柏木は焦燥のあまり、病に倒れる。 延期が続いていた朱雀院の五十の賀の試楽が行われた。病をおして出席した柏木は、源氏から痛烈な皮肉を浴びせられ、重病に伏す。柏木不在のまま十二月に賀が催された。.
弁も、いと才かしこき博士にて、言ひ交はしたることどもなむ、いと興ありける。 文など作り交はして、今日明日帰り去りなむとするに、かくありがたき人に対面したるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへをおもしろく作りたるに、御子もいとあはれなる句を作りたまへるを、限りなうめでたてまつりて、いみじき贈り物どもを捧げたてまつる。 朝廷よりも多くの物賜はす。. 近江の君に対する内大臣の態度を源氏は非難する。玉鬘は徐々に源氏に惹かれはじめるが、男女の関係になることはなかった。 玉鬘は偶然、柏木たち血のつながった兄弟の楽を聴いて感動する。事情を知らない柏木は美しい玉鬘を前に緊張する。. 源氏ははかなく消えた夕顔のことが忘れられない。そんな折、乳母子の大輔命婦から、故常陸宮の姫君(末摘花)のことを聞く。姫は荒れた邸で琴だけを友として暮らしているという。興味を持った源氏は、早速常陸宮邸を訪れ、琴の音を耳にする。 源氏の後をつけ、同様に姫に懸想をする頭の中将と源氏は恋の鞘当てを繰り広げるが、姫は一向になびいてこない。いらだった源氏は命婦に手引きさせ姫と強引に契りを結ぶが、姫の風情のなさに落胆する。 忙しさに追われしばらくぶりに姫のもとに訪れた源氏は、その翌朝見た姫の醜い姿、特にだらりと伸びた、先が赤い鼻に驚きを覚える。だが、落ちぶれた宮家の境遇を哀れと思い、姫の面倒を見続けた。 二条院で、源氏は美しく成長する紫の上と、赤鼻の女の絵を描いたり、自分の鼻に紅を塗ったりして戯れた。.
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再訪しての誘いにもなびかない空蝉に源氏は固執する。小君の手引きで紀伊守の邸宅を三度目に訪れた源氏は開放的な様子の若い女(軒端萩)と碁を打つ空蝉を垣間見る。若い女とくらべ見栄えはよくないが、源氏は空蝉に品のある慎みを感じる。夜、源氏は寝所に忍び込むが、それを察した空蝉は小袿を脱ぎ捨て寝所を抜け出した。行きがかり上、源氏は空蝉と同室で眠っていた軒端萩と情を交わす。 翌朝源氏は空蝉が脱ぎ捨てた小袿を持ち帰り、歌に思いを託す。小君から歌を渡された空蝉は、源氏の思いに応えられない我が身の情けなさを歌に詠み、源氏の歌の端に書きつけた。.
右大臣家の台頭、女性たちとのはかない関係から源氏は厭世を強めていく。そんな折、源氏は故桐壺帝の女御であった女性の邸を訪れる。女御の妹(花散里)と源氏はかつて宮中でほのかな関係があり、姉妹は源氏を頼りに暮らしていた。 邸へ向かう途中源氏は、昔なじみがあった中川のほとりに住む女に歌を届けさせたが、返事はつれないものだった。 落ち着いた雰囲気につつまれた女御の邸で、源氏は女御と故桐壺帝のことを回想し、その後、花散里を訪ねた。花散里は源氏の不在を責めることなく、穏やかに語り合った。.
御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。 何事かあらむとも思したらず、さぶらふ人びとの泣きまどひ、主上も御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことにだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。.
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