こころ 先生と遺書 全文

発行者: 30.11.2022

私がKに向かって、この際なんで私の批評が必要なのかと尋ねたとき、彼はいつもにも似ない6 悄然 とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいと言いました。そうして迷っているから自分で自分がわからなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるよりほかにしかたがないと言いました。私はすかさず迷うという意味を聞きただしました。彼は進んでいいか退いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼にききました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰まりました。7 彼はただ苦しいと言っただけでした 。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇ききった顔の上に8 慈雨 のごとく注いでやったかわかりません。私はそのくらいの美しい同情を持って生まれてきた人間と自分ながら信じています。しかし9 そのときの私は違っていました 。.

上野から帰った晩は、私にとって8 比較的安静 な夜でした。私はKが部屋へ引き上げたあとを追いかけて、彼の机のそばに座り込みました。そうして9 とりとめもない世間話をわざと彼にしむけました 。彼は迷惑そうでした。10 私の目には勝利の色が多少輝いていたでしょう。 私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手をかざしたあと、自分の部屋に帰りました。ほかのことにかけては何をしても彼に及ばなかった私も、そのときだけは恐るるに足りないという自覚を彼に対して持っていたのです。.

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しかしその先をどうしようという6 分別 はまるで起こりません。おそらく起こるだけの余裕がなかったのでしょう。私はわきの下から出る気味の悪い汗がシャツにしみ通るのをじっと我慢して動かずにいました。Kはその間いつものとおり重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくってたまりませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、7 私の顔の上にはっきりした字ではりつけられてあった ろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気のつかないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分のことに一切を集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くてのろいかわりに、とても容易なことでは動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念にたえずかき乱されていましたから、細かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前言った苦痛ばかりでなく、時には一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。つまり8 相手は自分より強いのだ という恐怖の念がきざし始めたのです。.

私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の目、私の心、私の身体、すべて1 私という名のつくものを五分の隙間もないように用意して 、Kに向かったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、2 彼の保管している要塞の地図を受け取って、彼の目の前でゆっくりそれを眺めることができたも同じでした 。. 奥さんの言うところを総合して考えてみると、6 Kはこの最後の打撃を、最も落ち着いた驚きをもって迎えたらしいのです 。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口言っただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んでください。」と述べたとき、彼は初めて奥さんの顔を見て微笑をもらしながら、「おめでとうございます。」と言ったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか。」ときいたそうです。それから「何かお祝いをあげたいが、私は金がないからあげることができません。」と言ったそうです。奥さんの前に座っていた私は、その話を聞いて胸がふさがるような苦しさを覚えました。.

こころ 新潮文庫. 夏のイラスト フレーム 無料 奥さんの親切 はKと私とにとってほとんど2 無効 も同じことでした。私は食卓に座りながら、言葉を惜しがる人のように、そっけない挨拶ばかりしていました。Kは私よりもなお3 寡言 でした。たまに親子連れで外出した女二人の気分が、また平生よりはすぐれて晴れやかだったので、4 我々の態度 はなおのこと目につきます。奥さんは私にどうかしたのかと聞きました。私は少し心持ちが悪いと答えました。実際私は心持ちが悪かったのです。すると今度はお嬢さんがKに同じ問いを掛けました。Kは私のように心持ちが悪いとは答えません。ただ口がききたくないからだと言いました。お嬢さんはなぜ口がききたくないのかと5 追窮 しました。私はその時ふと重たいまぶたを上げてKの顔を見ました。私にはKがなんと答えるだろうかという好奇心があったのです。Kの唇は例のように少し震えていました。それが知らない人から見ると、まるで返事に迷っているとしか思われないのです。お嬢さんは笑いながらまた何かむずかしいことを考えているのだろうと言いました。Kの顔は心持ち薄赤くなりました。.

勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気がつかずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値すべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼のほうがはるかに立派に見えました。1「 おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ 。」という感じが私の胸に渦巻いて起こりました。私はそのときさぞKが軽蔑していることだろうと思って、一人で顔を赤らめました。しかし今さらKの前に出て、恥をかかせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛でした。. しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。 私は震える手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆なの眼に着くように、元の通り机の上に置きました。 私宛の手紙をわざと目につくように置いたのは、Kの自殺と私が無関係であると示せるからでした。 そしてここでKの言っていた 「覚悟」とは自殺する覚悟だった のだと気づくのです。.

こう言ってしまえばたいへん簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、潮の満ち干と同じように、いろいろの高低があったのです。私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味をつけ加えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心がはたして6 そこ に現れているとおりなのだろうかと疑ってもみました。そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭に偽りなく、盤上の数字を指し得るものだろうかと考えました。要するに私は同じことをこうも取り、ああも取りしたあげく、ようやく7 ここ に落ち着いたものと思ってください。さらにむずかしく言えば、落ち着くなどという言葉は、この際けっして使われた義理でなかったのかもしれません。.

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奥さんのいうところを総合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。 Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口いっただけだったそうです。 しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。 そうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。 それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。 奥さんの前に坐っていた私は、その話を聞いて胸が塞るような苦しさを覚えました。.

私には第一に彼が9 円谷プロ エイプリル 男のように見えました。どうしてあんなことを突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋がつのってきたのか、そうして10 平生の彼 はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強いことを知っていました。また彼のまじめなことを知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼についてきかなければならない多くを持っていると信じました。同時にこれから先彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の部屋にじっと座っている彼の容貌を始終目の前に描き出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かすことはとうていできないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼に祟られたのではなかろうかという気さえしました。.

Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話をやめませんでした。しまいには私も答えられないような立ち入ったことまできくのです。私はめんどうよりも不思議の感に打たれました。以前私のほうから二人を問題にして話しかけたときの彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変わっているところに気がつかずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんなことばかり言うのかと彼に尋ねました。そのとき彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が震えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。平生から何か言おうとすると、言う前によく口のあたりをもぐもぐさせる癖がありました。1 彼の唇がわざと彼の意志に反抗するようにたやすく開かないところに、彼の言葉の重みもこもっていたのでしょう 。いったん声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。.

こころ まんがで読破. こころ まんがで読破 イースト・プレス Amazon 楽天 Yahoo! あなた方から見て笑止千万なこともそのときの私には実際大困難だったのです。私は旅先でもうちにいたときと同じように 卑怯 でした。私は始終機会を捕らえる気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうすることもできなかったのです。私に言わせると、彼の心臓の周囲は黒い漆で 重 く塗り固められたのも同然でした。私の注ぎかけようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、ことごとく弾き返されてしまうのです。.

昼飯のとき、Kと私は向かい合わせに席を占めました。12 下女 に13 給仕 をしてもらって、私は14 いつにないまずい飯 を済ませました。二人は食事中もほとんど口をききませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだかわかりませんでした。.

  • 彼は「病気はもう癒いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。 私はその刹那に、彼の前に手を突いて、あやまりたくなったのです。 しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。 もしKと私がたった二人曠野 こうや の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。 しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。 そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。.
  • その後もKは私に対して以前通りに接します。 その様子を見て私は 「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」 と、策略で恋の争いに勝ったものの、裏切られてなお私を責めないKの方が人間としても立派である事を感じます。. Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ。」と言ってしまったあとで、すぐ自分のうそを快からず感じました。しかたがないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだと言い直しました。奥さんは「そうですか。」と言って、あとを待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私にください。」と言いました。1 奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでした が、それでもしばらく返事ができなかったものとみえて、黙って私の顔を眺めていました。一度言い出した私は、いくら顔を見られても、それに2 頓着 などはしていられません。「ください、ぜひください。」と言いました。「私の妻としてぜひください。」と言いました。奥さんは年をとっているだけに、私よりもずっと落ち着いていました。「あげてもいいが、あんまり急じゃありませんか。」ときくのです。私が「急にもらいたいのだ。」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか。」と念を押すのです。私は言い出したのは突然でも、考えたのは突然でないというわけを強い言葉で説明しました。.

KK K.

こころの主要登場人物

奥さんの前に坐っていた私は、その話を聞いて胸が塞るような苦しさを覚えました。 奥さんの話を聞いて私が「胸が塞るような苦しさ」を覚えたのは、Kが親友に裏切られお嬢さんも奪われた事を知った時のKの心情を想い、自責の念にかられたからでした。. こころ まんがで読破. しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。 私は震える手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆なの眼に着くように、元の通り机の上に置きました。 私宛の手紙をわざと目につくように置いたのは、Kの自殺と私が無関係であると示せるからでした。 そしてここでKの言っていた 「覚悟」とは自殺する覚悟だった のだと気づくのです。.

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私は私にも7 最後の決断 が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起こしました。私はKより先に、しかもKの知らない間に、事を運ばなくてはならないと覚悟を決めました。私は黙って8 機会 をねらっていました。しかし二日たっても三日たっても、私はそれを捕まえることができません。私はKのいないとき、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方がじゃまをするといったふうの日ばかり続いて、どうしても「今だ。」と思う好都合が出てきてくれないのです。私はいらいらしました。.

肉薄  意味を辞書で調べよ。. あなた方から見て笑止千万なこともそのときの私には実際大困難だったのです。私は旅先でもうちにいたときと同じように 卑怯 でした。私は始終機会を捕らえる気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうすることもできなかったのです。私に言わせると、彼の心臓の周囲は黒い漆で 重 く塗り固められたのも同然でした。私の注ぎかけようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、ことごとく弾き返されてしまうのです。.

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一週間の後私はとうとう堪え切れなくなって仮病をつかいました。9 奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも 、起きろという催促を受けた私は、生返事をしただけで、十時ごろまで布団をかぶって寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家の中がひっそり静まったころを見計らって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。食べ物は枕元へ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。身体に異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつものとおり茶の間で飯を食いました。そのとき奥さんは長火鉢の向こう側から給仕をしてくれたのです。私は朝飯とも昼飯とも片づかない茶椀を手に持ったまま、どんなふうに10 問題 を切り出したものだろうかと、11 それ ばかりに12 屈託 していたから、外観からは実際気分のよくない病人らしく見えただろうと思います。. Kの神経衰弱はこのときもうだいぶよくなっていたらしいのです。1 それと反比例に、私のほうはだんだん過敏になってきていた のです。私は自分より落ち着いているKを見て、うらやましがりました。また憎らしがりました。彼はどうしても私に取り合う気色を見せなかったからです。私にはそれが2 一種の自信 七つの大罪 ジェリコ も3 彼の安心 がもしお嬢さんに対してであるとすれば、私は決して彼を許すことができなくなるのです。不思議にも彼は私のお嬢さんを愛している素振りに全く気がついていないように見えました。むろん私もそれがKの目につくようにわざとらしくは振る舞いませんでしたけれども。Kは元来そういう点にかけると鈍い人なのです。私には最初からKなら大丈夫という安心があったので、彼をわざわざうちへ連れてきたのです。.

その後私は 「精神的に向上心のないものはばかだ」 とKに言います。 これは以前2人で行った旅行中にKから言われた言葉で、Kが信念とする言葉を言い返す事によってKの恋を批判し、完全に諦めさせようとしたのです。. 私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間1 Kに対する絶えざる不安 が私の胸を重くしていたのは言うまでもありません。私はただでさえなんとかしなければ、彼にすまないと思ったのです。そのうえ奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突っつくように刺激するのですから、私はなおつらかったのです。どこか男らしい気性を備えた奥さんは、いつ私のことを食卓でKにすっぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの2 挙止動作 も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私はなんとかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし3 倫理的に弱点を持っている と、自分で自分を認めている私には、それがまた3 至難 のことのように感ぜられたのです。.

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